奥山英二-Strategic Legal Solutions, Inc.への無料オンライン相談・面談

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奥山 英二

奥山 英二 (おくやま えいじ)   /   海外  /   Strategic Legal Solutions, Inc.

専門分野 法務・知財・特許(契約書作成・知的財産・著作権) / 会社設立・許認可(会社設立・各種法人設立) / 海外ビジネス(欧米進出支援(北米・欧州)・海外進出支援(その他)) /
保有資格 弁護士(ニューヨーク州)、公認会計士(ニューハンプシャー州 ) / 弁護士(海外法含む)  / 外国の専門資格(米国公認会計士等) /


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アメリカ法の弁護士で、米国公認会計士でもあります。アメリカンドリーム実現のお手伝いをいたします。

「アメリカの弁護士は高くて。。。」、「英語で難しい法律の話をされても。。。」という声にお応えして、「日本語で分かり易く」「顧問契約で一定時間まで気軽にご相談していただける」ことをコンセプトとして、低・固定料金での「顧問サービス」というアメリカの法律サービスにはなかった考え方を、日系企業様・日本人起業家様向けにご紹介しております。

TEL. 1-917-300-1378

対応エリア:神奈川県 / 愛知県 / 大阪府

所在地: 海外 31 West 34th Street FL8 New York, NY 10001-3030 USA

相談・面談可能時間: 07:00 ~ 22:00

   
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専門分野 法務・知財・特許(契約書作成・知的財産・著作権) / 会社設立・許認可(会社設立・各種法人設立) / 海外ビジネス(欧米進出支援(北米・欧州)・海外進出支援(その他))
得意業界
保有資格 弁護士(ニューヨーク州)、公認会計士(ニューハンプシャー州 ) / 弁護士(海外法含む)  / 外国の専門資格(米国公認会計士等)
対応エリア 神奈川県 / 愛知県 / 大阪府
業務内容 米国での起業と米国への進出支援。企業周りの法律全般。国際間契約、米国での契約、米国での紛争解決・訴訟支援、知的所有権の取得・管理、ライセンシング契約、米国子会社の日常法務相談全般に対応しています。

経歴・実績

<勤務先の崩壊!ひょんなことから、私自身も起業家に!>

1994年に人生の出直しを図るべく、子連れでアメリカに渡ってから、外国商標に関するコレスポンデンスの翻訳、特許翻訳、翻訳チェックなどで細々と生計 を立てながら、大学で経営学・会計学を、ロースクールで知財法・会社法・税法を学び、NY州の弁護士と、NH州の公認会計士の試験に合格しました。

最初の仕事は、Deloitte & Touche LLPという当時の5大監査法人の一角に数えられていた会社で、弁護士として、国際税務のコンサルタントをいたしました。

2000年に米国NY州弁護士に登録いたしました。公認会計士も1999年に合格しましたが、2年の実務経験が必要であるため、Deloitte Touche監査法人の税務部門で2年経験をつんだ2002年に、NH州に登録いたしました。

2002年に魔が差してArthur Andersen監査法人のNY事務所に転職、同年4月にこのArthur Andersen監査法人が、Enron事件の司法妨害の疑いで起訴され、業務が停止され、崩壊し、アメリカで失業の憂き目に会いました。

当時、Deloitte & ToucheとArthur Andersenでお世話になっていた皆さんに、私が心に抱いていたビジネスプランをご説明して回り、「このような事業を始めたら、ご利用いただけます か?」と3ヶ月間うかがって回ったのが、Arthur Andersen崩壊後の行動でした。

皆様のお話で共通していたのが、日本にしか 法務部はなく、アメリカ法を理解している人は会社(本社)にはあまり居ない。アメリカの子会社のオペレーションでは、法務部を設けるほどのことはない。ア メリカ人のマネージャーがアメリカ人の弁護士に相談して貰っている、あるいは、自分でアメリカ人弁護士に相談している。料金が高いので、気軽に相談できな いし、相談しても、言っていることが理解できないことのほうが多い、あるいは、理解するのが大変、ということでした。

このときに考え抜いたコンセプトが、「日本語で」「気軽に」「Chargeを気にせずに」相談できる弁護士でした。実は、アメリカの弁護士には、顧問契約 とか、毎月の定額顧問料というような発想がありません。相談事が出来れば、アポイントを取って、相談するのですが、忙しい弁護士を捕まえるのに時間が掛 かったり、どの弁護士に相談したらよいものか?相談事は実はたいした問題ではなくて、弁護士と話せばすぐに解決することも、なかなかつかまらない弁護士と 話すまでに時間が掛かる。話してみても、英語で難しい言葉がどんどん出来て、何か狐につままれた感じ、何をすべきか、さっぱり埒が明かない。一ヵ月後、届 いた請求書を見てびっくり、30ページくらいの文書を送って、何が書いてあるのか、レビューをしてもらったら、5時間の請求で、時間チャージが600ド ル!合計3000ドルの請求書が手元に!ということがしょっちゅうです。

「Chargeを気にせず」は明朗会計ということです。原則、1ヶ月600ドルで、顧問になると、メールとか電話相談で、さらに3ヶ月に一度は訪問して も、一切ほかの料金は掛からない。契約書の作成やレビュー、その他の業務も、もし時間内に収まれば、顧問料の中でOK。これをOverしても、顧問先に は、通常料金の2割引以上の値段で、アメリカ人の大事務所の弁護士の半値から4分の1の値段で、仕事をさせていただくようにしました。

「日本語で」の部分は、電話を頂いても、メールを頂いても、コミュニケーションはすべて日本語で出来るということ。

そして、「気軽に」は、電話は全て私が直接出るようにして、アシスタントには電話をとらせない体制を取りました。私の腰についている携帯が、そのまま私のOffice Phoneなのです。

2002年10月に、今の会社Strategic Legal Solutions Inc.(SLS INC)を設立しましたが、最初の顧客が出来るまで、3ヶ月、そして、Visaの取得に時間が掛かったため、次の3ヶ月、売り上げがたたない日々が続きま した。最初のお客様は、私の起業の後押しをしてくださった、テネシーの会社の社長さんの後任の社長さんでした。私のビジネスのアイデアを非常に買ってくだ さった前任者が、8年の長い任期を終えて、日本に戻ることになったのが幸いして、後任の社長さんが日本語のアドバイザーを好んでくださったことが仕事につ ながりました。もちろん、前任者も推薦してくださったことは間違いありません。

ぽつぽつと仕事が増え、提携先を探し始めました。何しろ、弁護士としては、税法の経験しか、それを、国際税務という限られた分野しか知らない身でしたの で、総合事務所とBackup体制が作りたかったのです。ここで、NYの中堅法律事務所Anderson Kill & Olick LLP法律事務所と出会います。この事務所のPartnerとは旧知の仲で、営業費用を出してもらう代わりに、私が一人で出来ない大きな案件、訴訟など や、特許申請など、特許弁護士でないと出来ない分野の仕事を持ち込むという約束で、契約弁護士として、NYにOfficeをもらえるようになりました。

2008年9月に、現在のLadas & Parry LLPに移籍して、Ladas & Parry LLPには、特許・商標関係の案件を多く持ち込んでいます。


<2002年10月のSLS INC設立以降、これまでの実績>

全米で各地で会社設立。ニューヨーク州、ペンシルベニア州、バージニア州、メリーランド州、ニュージャージー州、カリフォルニア州、デラウエア州の各州で会社を設立。各州への営業登記。

各種の契約書作成・レビュー・交渉へのアドバイスと関与。NDA, Licensing, Distributorship, Sales, Agent, Sales Rep, MTA, employment agreement, etc.

債権回収・債権管理のアドバイス。債権回収交渉。数万ドルの債権回収を根気よく成功させた。

ストラクチャード・ファイナンス、会社側の代理人。売掛金をベースにした30億円規模のファイナンス・ディールを成功裏に導いた。

特許申請・商標登録申請のお手伝い。約250件以上の特許申請の仲介。数十件の商標登録、または、その仲介。

大手写真用品メーカを提訴する際に、訴訟代理人を務める。Anderson Kill & Olick PCと共同で受任。

特許の先発明者を決める、Interference手続き2件の代理人を務める。Anderson Kill & Olick PCと共同で受任。

米国のビジネスの日本進出の水先案内人を務めると同時に、多数の日本のビジネスのアメリカ進出を支援。日本の特許事務所の米国事務所開設のお手伝いや、アメリカ子会社、駐在員事務所開設のお手伝い。これには、Business Visa取得の手伝いなども含まれます。


<以下、私の職務経歴です。>

準大手証券会社 (87年4月 ~ 91年12月)
新規上場企業を探し、世に送り出す部署、企業部に居りました。


アスカコンサルティング株式会社(92年1月 ~ 93年12月)
店頭公開を希望するクライアント企業への資本政策の提案、組織整備のコンサルティング、経営計画の立案、問題点を抽出するための予備調査の実施。この間、「株式公開ハンドブック」を共同執筆。

 

大手国際特許事務所 (94年1月 ~ 99年12月)

外国部マネージャーとして、主に商標関連の申請手続き、外国の代理人・クライアントへの手紙の起草・翻訳、意見書の起草・翻訳を担当。この間、アリゾナ・ニューハンプシャー州へ留学。

 

Deloitte & Touche LLP(2000年1月 ~ 2002年1月)

ワシントンDCナショナル・タックス事務所の移転価格マネージャーとして、国際税務の一分野である移転価格税制の専門家として、D&Tの全米各事務 所から持ち込まれる重要案件について、顧客へのアドバイスを行う。また、レポートの執筆、クライアント業務の機能・危険・経済分析を実施し、米国歳入庁ま た日本国税庁への提出用レポートの作成を行う。また、日米間の相互協議案件・事前確認案件について関係各事務所・顧客間のコーディネーションを行う。日系 大手の製薬会社、日系製造機器メーカー、機械・自動車部品メーカーを担当。

 

Arthur Andersen LLP (2002年1月~同年7月)

ニューヨーク事務所の移転価格税制チーム3名を率いるマネージャーとして、ニューヨーク・ニュージャージー地区の日系企業を担当。大手電機メーカー の事前確認案件に関与。巨大エネルギー商社エンロンの監査に関して、司法妨害に問われ、司法省の訴追を受けたことで、監査業務の2ヶ月間の停止が決まり、 会社は解散となった。

 

Strategic Legal Solutions, Inc. およびLaw Offices of Eiji Okuyama(2002年10月~現在)

DeloitteおよびAndersenで日系企業を担当していた経験から、費用を気にせずに気軽に日本語で相談できる法律・会計サービスへのニー ズを確信して、同社を設立し、社長に就任。アメリカでの起業支援(会社の設立、会社の組織整備、会計制度の確立・ソフト導入、ビザの取得、従業員の採用、 事務所の賃貸、備品の購入・リース、駐在員の住居の確保など)、会社法関連サービス(議事録の整備、株式の発行、取締役会・総会の招集など)、株式譲渡契 約(日米間、米中間)、事業への投資に係る法務デューデリジェンス、企業周りの各法律に関するアドバイス(多数の契約書作成またはレビュー、米国・欧州の 独禁法、労働法的なアドバイス、セクハラ対応、交通事故対応、交通違反対応、会社関連の非移民ビザの申請(E、L、Hビザ)、破産法関連、ファイナンス法 関連など)、債権回収、一般民事訴訟対応、知的財産法関連サービス(連邦地裁・米国特許商標庁での訴訟対応、知的財産権のライセンシング交渉・契約書作 成、特許申請の橋渡し、商標登録申請、特許・商標調査、特許・商標鑑定など)、その他の法律相談に携わった。顧問先に日系の大手製薬会社米子会社、一部上 場中堅商社、大手機械メーカーの米子会社、ベンチャー企業2社、得意先に上場電気メーカー数社、先端技術ベンチャー数社を含む。従業員(パートタイム)を 2名雇用。

 

Anderson Kill & Olick P.C. (2003年6月~2008年5月)

Japanese Service Deskの開設を条件に入所し、週2日または3日を同所のニューヨーク事務所で勤務している。3件の特許関連訴訟、200件以上の特許申請、商標関連訴訟などに関与。

 

Ladas & Parry LLP (2008年9月~現在)

Of Counselとして、同所のニューヨーク事務所で勤務している。通常、週2日。

 

Fordham University Law School (2006年3月~現在)

カンファレンスアドバイザー。国際的に有名なFordham International IP Law and Policy Conferenceの日本開催へ向けて足場を固める作業を担う。日本からのカンファレンスへの参加を促す。

最近の寄稿:母校在校生・卒業生向け雑誌への寄稿

可能性はいくらでもある!?

 

                                    米国弁護士・公認会計士  奥山 英二

 

 貴誌の思い出は、卒業生の一言集に考え抜いて練りに練って締め切り最終日に書き送った一言が、全く面白くなかったことくらいでしょうか。卒業25 年以上を経て、その貴誌編集委員の方にメールを頂き、その汚名を(世の中でこれを「汚名」と思っているのは間違いなく私一人ですが)返上する機会を頂いた ことを密かに喜んでおります。一方私の脳みその反対側では、恥の上塗りの予感がひしひしとしておりますが、ともかく私の話を始めたいと思います。

 今思うと中学・高校での六年間は社会に出て仕事をして行く上での、本当に基礎体力(底力)をつけてくれた六年だったと痛感します。大学での勉強、 もとい大学の選択(残念ながら大学を選べるほどの勉強をしていなかったので、選択の範囲は狭かったですが)、卒業後の会社生活、転職し、再び大学に戻るこ とを決めて渡米した日々をこうして振り返ると、私の行動を起こす際の推進力とでも言うのでしょうか、「止めようか。やろうか?」と迷ったときに、「出来る できる、さあやろう、やっちゃえ!」という無謀なまでの楽観的な推進力は、この六年間で培われたと確信しています。

 受験校という枠組みの中で、五年弱で中高六年間のカリキュラムを終了できるという有利な環境で育ちましたが、私の考えは、「ビリでも卒業できれば 何とかなるだろう」という持ち前の楽観論でしたので、親にはずいぶん迷惑を掛けました。母親の円形脱毛(もう時効だから良いでしょう、ばらしても、お母さ ん?)の原因を一人で作った五年間でした。

 両親に苦労を掛けた五年間、私は、ほとんどビリの成績を残しながら、何をしていたのか?テニスに打ち込み、体育祭の時期には青組・応援団に没頭 し、文化祭には必ず首を突っ込み、深夜放送は朝五時まできっちり聴いて、授業中はほとんど寝て暮らし(体をまっすぐに保ったまま寝る術を完璧に身に付けて いました)、一時限目の休みから弁当を食べ始め、昼休みにはテニスの練習、午後はやはり疲れて睡眠、授業の終了ベルとともにコートに飛び出して、テニスの 練習という生活が、部活を引退する五年生の秋まで続きました。

 試験期間になると部活が禁止されますので、仕方なしに勉強を始めるわけですが、ほとんど試験の前日に初めて勉強するわけですから、高得点が取れる わけなどありません。成績は本当に悪くて、中学三年生の実力試験(第三学期に中間試験の代わりにあったように記憶しています)で、ビリから三番目だったの ですが、高校に上がれなかった人間が二人でて、正真正銘のビリから高校生活をスタートさせたのでした。

 こんな失敗談の一体どこから「推進力」とか「底力」が出てくるのかって?まあ、そう先を急がないでください。

 テニス部の五年間で目標にしていたインターハイ出場の資格が出来る都大会決勝進出の線まで後一歩の準決勝で敗退したことを契機にきっぱりテニスを 止める決心をしました。インターハイ予選は春の大会ですので、高三までテニスを続けていないと出場が難しいのです。試金石として、同じメンバーと戦う秋の 都大会新人戦で、決勝に残れなかったらテニスを止める。頭を丸めるという覚悟を決めていたのでした。ということで、高二の秋の修学旅行は、頭を丸めて(文 字通り丸めて、剃ってしまいました)、あまりに寒いので毛糸の帽子をかぶっての参加でした。ラケットのガットをすべて切って、物置の奥に仕舞い込みまし た。

 さあ、いよいよ中学入試以来の勉強を始めようと思った高三の春、文系の百十名ほどの生徒の中で、成績は下から十番でした。

 生来の楽観主義者であるのでしょうか、ボトルに半分入っている酒が、「もう半分飲んでしまった」ではなくて、いつも「まだ半分もある」と思えるタ イプとでも言うのでしょうか。あと一年しかないなどとは思わずに、「1年も勉強できる」と、基礎の基礎から勉強しなおしたのです。学校行事(授業以外の) をいつも楽しみしていた私は、五月の連休ごろにあった遠足を初めてサボりました。高三の遠足は飯盒炊爨と決まっていて、本当に楽しみにしていたのですが、 英語の基礎復習が予定通りに終わらなかったからです。この時、ある英語教材を徹底的に読み込んで、サブノートにして、用例の例文を暗記したことが、私大文 系コースを選択した私の数少ない受験科目の英語の基礎を作ってくれました。歴史は日本史がほとんど唯一の得意科目でしたので、これも万全でした。歴史の面 白さを教えてくれたのが、S川先生。空手家でもあった先生は、たるんでいる生徒に「喝」を入れることで有名で、遅刻の多かった私も肩に先生の手刀が炸裂す ることの多かった一人でした。S川先生の授業は、まさに落語か講談か、はたまた大河ドラマのような面白さで、寝てはいられないほど面白い授業でした。

 勉強はちっともしなかった私ですが、本はよく読みました。また、時事問題にも関心があり、多少思想がかったところもありましたので、朝日ジャーナ ルをほぼ毎週読んでいました。歴史好きのせいで、中公文庫の日本の歴史は全二十六巻を読了していますし、歴史に関する、特に幕末の志士の話は、小説もノン フィクションもよく読みました。風邪を引いたりして寝込むと、「竜馬がゆく」文春文庫全八巻を読み終えるということが一年に一度はありました。私の場合、 風邪にはハニーレモンでもチキンスープでもなくて、「竜馬がゆく」が風邪の特効薬でした。

 私立文系のくせに、また、歴史が好きなくせに、古文漢文が苦手だった私が受験して受かりそうな大学は非常に限られていました。つまり、共通一次試 験(今はセンタ試験だそうですね)の課せられている国公立は駄目、古文漢文のある早稲田・上智も望み薄、結局、慶応と漢文のない学習院の法学部に合格する ことになるのですが、慶応は古文漢文のみならず現代文も廃止して、小論文のみという試験改革をしてくれた年に受験できたのが幸運でした。

 ここまで読んでも、何が「底力」を養ってくれたかわからないではないか!というご批判はごもっともです。もう少しだけ、ついでにお付き合い下さい。

 これだけ高校時代に勉強で苦労したくせに、大学でもやっぱり勉強しなかった私は、またしてもテニスに没頭します。テニスブームの到来で、大学時代 を通じてテニスコーチのアルバイトで財布はパンパンの生活をしておりました。初任給をもらって手取りが半分になったのは正直がっかりでした。サラリーマン 生活は、証券会社、コンサルティングファームと続きますが、三十歳になったときに、残りの仕事人生三十から四十年をどう過ごすかと考えたとき、親と同じよ うに手に職といいますか、士業(親父は弁理士です)というのはやはり魅力的であると考え、家族(家内と子供ひとり)を連れての留学に踏み切りました。当時 携わっていた会計周りを勉強しなおして、公認会計士になり、ロースクールに進んで弁護士になるという計画を立てたのでした。アメリカには高校時代から都合 五回、遊びに来ていましたので、留学先は至極当然にアメリカ。特に西部開拓史の名残が強く残って非常に惹かれていたアリゾナに住み着いたのが三十一歳に なってからです。

 今はどうか知りませんが、受験テクニックとしての英語を教える受験校である母校の英語の先生の授業を受けて育った人間が、アメリカに来て英会話で 苦労しないわけがありません。三十過ぎて硬くなった頭と耳で英語を聞き取り、理解するのは大変でした。聞き漏らしてはいないか?相手に正しく伝わっている のか?気が気ではありません。

家族にも苦労を掛けました。到着したのは灼熱の八月です。荒涼とした砂漠の町に連れて来られて落ち込む家内を元気付けようと、映画「駅馬車」で有名 なモニュメント・バレーに車の旅を敢行した際に、低予算で買った車が故障して三時間以上立ち往生したときは、家内はいっそう落ち込んで、西の(日本の方 角)空に広がるきれいな夕焼けを見ては涙しておりました。

 弁護士になって、公認会計士の登録も果たします。多分、日本人で米国のこの二つの資格を持っている人間は二十人居ないのではと思います。当時の世 界の五大監査法人の一角(今は四大監査法人)、デロイト・トゥーシュ・トーマツで弁護士として働き始めます。二〇〇〇年のことです。二年後縁あって、アー サー・アンダーセンに転職した途端に、巨大エネルギー商社エンロンの破綻に関連して監査法人であるアンダーセンが司法妨害をした容疑で起訴され会社は消 滅。失業します。

非常にピンチなんですが、成績が底辺をさまよっていた中高時代とか、好きなことに打ち込んできたことで培われた底力とか、どんなことが起きても「何 とかなるぞ」という楽観を絶対に捨てられない性格が染み付いてしまっていたのですね。デロイト時代と短いですがアンダーセン時代にお付き合いを頂いたお客 様にアメリカに進出している日系企業向けの「日本語で」「気軽に」「費用を気にせず」相談が出来るサービスをいうコンセプトで今の会社を興すことを相談し ました。一人でも二人でも、「奥山さん、そんなサービスが欲しかったんだよ」なんていわれると心の底にある「出来るできる、さあやろう、やっちゃえ!」と いう持ち前の楽観主義が心を支配して、六年前に独立して今の会社を作りました。

やっと、「底力」の話です。あれだけ勝手なことをしても咎めるでもなく(体育祭で貰ったばかりの二位の賞状を破り捨てて、「二位なんかで満足する な」と後輩に優勝を託した応援団長は私です。)、あれだけ成績が悪くても見捨てるでもなく、「面白い奴じゃないか!」と許容し、温かい目で見守ってくだ さった母校の先生方にこの楽観主義は密かにかつ計画的・意図的に植え付けられたのかもしれません。これが私の「底力」です。

タイトルどおり「可能性はいくらでもある!?」んです。えっ、何で「?」をつけるかですって?弁護士ですので、根拠のないことは断言できませんの で、悪しからず。でも、とりあえず、信じて何でも好きなことを「やっちゃって」ください。中学高校での六年間は皆さんに必ず「底力」を与えてくれていま す。必ず「出来ます」よ。


主な実績・役職

  • 日本企業によるアメリカ企業の買収に関与し、Due Diligenceを担当、Assets/Stock Purchase Agreementの起草やレビューを担当した。
  • ストラクチャード・ファイナンス、会社側の代理人。売掛金をベースにした30億円規模のファイナンス・ディールを成功裏に導いた。
  • 創業以来100件以上のBusiness Visa(E,L,H)の取得と更新のお手伝いをし、小額の投資でもE-Visaの取得に成功してきた。
  • あらゆる契約書に関する相談。契約書をベースにした債権の回収や訴訟に対応。
  • 特許申請・商標登録申請のお手伝い。約500件以上の特許申請の仲介。90件以上の商標登録、または、その仲介。

活動実績・評価

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お薦め度 5.0 5.0
(評価件数 91件/相談件数 147件)

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Strategic Legal Solutions, Inc.

所在地   海外31 West 34th Street FL8New York, NY 10001-3030 USA 連絡先 電話番号: 1-917-300-1378 / FAX: 1-240-597-1052
相談・面談可能時間 07:00 ~ 22:00 URL http://houmubu.weebly.com
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